【築地市場】
築地市場は日本を代表する卸売市場のあった街で、日々観光客が多く訪れています。周辺には新鮮な海鮮を扱う飲食店が多いのもこの地域の特徴です。
築地市場は移転しましたが、移転後の跡地に何ができるのか楽しみですね!
それでは、築地市場周辺をご紹介します!
■築地市場駅■
▲A1出口 ▲A2出口
▲A3出口
築地市場駅は2000年に開業した、都営大江戸線の乗り入れる駅です。
駅名の通り、築地市場に隣接しており、多くの観光客が利用しています。
築地中央市場は豊洲へ移転しましたが、駅名を変更する予定は今のところないそうです。
■築地市場■
築地市場は、言わずと知れた日本を代表する卸売市場。水産物に関しては、世界最大の取扱量を誇ります。新鮮な生鮮品や美味しいグルメが味わえることもあって、多くの観光客で賑わう日本の台所です。
元々日本橋にあった魚市場が関東大震災により壊滅し、1935年築地に移転しました。
移転から80年以上が経過し、施設の老朽化が進んだことや狭隘化が著しいことなどから、2018年10月豊洲地区へ移転しました。
◆場内市場
▲正門 ▲青果門
築地市場には、場内と場外があります。
場内市場は、プロの買い付け人が買い物をするところ。テレビで見かけるマグロの競りが行われるのもここです。ちなみにマグロの競りは誰でも見学可能だそうです!
一般の方も見学・買い物・食事ができる場内市場ですが、トラックやターレットが絶えず往来しています。本来は業者の方の仕事場のため、一般の方よりも業者の方の通行が優先されます。くれぐれも事故にはご注意ください。また、通路は狭いためベビーカーやキャリーバッグはご遠慮ください!
▲ターレット
・魚がし横丁
▲1号館
場内市場にある魚がし横丁は、市場で働く人が食事や買い物をする場所です。もちろん、一般の方の利用も可能。寿司屋、海苔屋をはじめ、パン屋 土産店など多くのお店が軒を連ねています。
・魚河岸水神社
魚河岸水神社は、場内市場の一隅にあります。
その歴史は古く、徳川家康の江戸入府とともに移住してきた摂津国佃村の漁夫たちが、大漁や海上安全、子孫繁栄を祈願してて弥都波能売命(みずはのめのみこと)を祀ったのが始まりと言われています。水神社の本殿は神田明神の境内に建立され、ここにあるのは遥拝所となります。
また、この地は松平定信旧居浴恩園跡(後述します)で、明治維新後は海軍用地だったそう。境内にある「旗山」の碑は、築地が日本海軍発祥の地であることを示しています。
※摂津国佃村の漁夫たちの江戸の定住地については 月島駅 をご覧ください!
◆場外市場
場外市場は、一般の方も買い物や食事が楽しめるところです。店舗数も多く、日本人のみならず外国人観光客も食べ歩きを楽しんでいます♪
築地市場の豊洲移転後も、場外市場は変わらずこの地で営業しています。
・築地にっぽん漁港市場
営業時間 : 業務用 6:00~9:00、通常販売 9:00~14:00、自由営業 14:00~
築地にっぽん漁港市場は、日本各地の事業者、漁協による水産物の産直市場です。
早朝営業はプロ用の仕入れをメインとしています。珍しいお魚も購入できます!
・ぷらっと築地
営業時間 : 平日・土曜 8:00~14:00
日祝日・休市日 10:00~14:00
場外市場にある総合案内所。
市場だけでなく、周辺地域の観光案内・交通情報案内などを行っています。またオリジナルグッズも販売しています。
◆おさかな普及センター資料館
開館時間 : 10:00~16:00
休館日 : 日曜・祭日・市場休業日
おさかな普及センター資料館は魚の普及を目的とした施設で、パネルや写真などが展示されています。
マグロの競りの見学もこの施設で受け付けています。
■波除稲荷神社■
所在 : 築地 6-20-37
築地周辺は、1657年の明暦の大火の翌年に、瓦礫や残土を利用して埋め立てられた造成地です。
その埋め立て工事は荒波の影響で難航しました。ある晩、海面を漂う稲荷大神の御神体を見つけ社殿を建て祀ったところ、波がおさまり工事も恙なく進んだとか。
以来、厄除けや商売繁盛、工事安全の神様として信仰を集めています。社名の「波除」は「災難を除き、波を乗り切る」に由来します。
その後、「波除」のご神徳のあらたかさに驚いた人々が、雲を従える「龍」、風を従える「虎」、一声で万物を威伏させる「獅子」の巨大な頭を奉納しました。これを担いで回ったのが「つきじ獅子祭」 の始まりです。
◆天井大獅子(雄獅子)
天井大獅子は、波除神社に奉納されている雄雌の大獅子のうちの雄の方。高さ2.4m・幅3.3m・重さ1tもあるそうです。
願い事を書いた「願い串」を獅子頭の舌の上の納め念じると、大獅子様が飲み込み、願い事が叶うと言われています。
◆弁財天 お歯黒獅子(雌獅子)
天井大獅子の向かい側にある獅子は、波除神社に奉納されている雄雌の大獅子のうちの雌の方で、お歯黒をしているのが特徴。高さ2.15m・幅2.5m・重さ700kgあるそうです。
雄獅子のあとに奉納されたため、江戸時代の既婚女性がお歯黒をしていた風習に倣ったそう。
つきじ獅子祭は毎年6月に行われる、波除稲荷神社の例大祭。
このお祭りには「本祭り(3年に一度)」と「陰祭り(間の二年間)」あり、本祭りでは神社千貫宮神輿と雄・雌どちらかの獅子の二基が担がれ、陰祭りでは神社千貫宮神輿・天井大獅子・お歯黒獅子のうちの一基が担がれるそうです。
ちなみに次回の本祭りは、2018年。築地市場移転前の最後の本祭りですね!
◆波除稲荷神社七福殿
波除稲荷神社には、七福神それぞれの神様の御神像が本殿に安置されています(弁財天のみお歯黒獅子の角の中)。
この社殿は、毎月7日の七福神参りの際、その月の七福神の御神像が安置される社殿です。
毎月7日は、その月に御開帳された神様の絵を入れたご朱印の授与を行っています。七体のご朱印をすべて集めた方には、12月に神社より開運七福神記念品がもらえるそう。
ご朱印集めが趣味の方はぜひ、毎月7日に訪れてみてください!
◆吉野家碑
境内にある吉野家の碑は、2016年8月有名な牛丼店「吉野家」により建立されました。
なぜ吉野家?と思いましたが、1959年に「吉野家 築地一号店」が築地市場で開業したからだそうです。
元々吉野家は築地に移転する前の日本橋の魚河岸にあったのですが、魚河岸が築地に移転したと同時に吉野家も築地に移転。その後東京大空襲で店舗が焼失、終戦後屋台で営業を再開し、1959年築地一号店を開業しました。
◆末社
境内にある末社。天照大神 大国主命 少彦名命 天日鷲命の四神が祀られています。
◆玉子塚
玉子塚は東京鶏卵加工業組合の創立35年を記念し、1993年に建立されました。
寿司屋や料理屋などで使用される業務用の厚焼き玉子が新鮮な玉子で作られていることへの感謝、使用した玉子への供養、また玉子がいかに優れた食材であるかを人々に顕彰するために建てられたそうです。
◆すし塚
すし塚は、1972年に東京都鮨商環境衛生同業組合によって建立されました。
すしとなった魚への感謝と供養、またすしを永久の食べ物として発展させていく決意の表明として建てられました。
ちなみに揮毫は三木武夫氏だそうです。
◆海老塚
1973年東天会天ぷら料理協同組合と株式会社海老の大丸によって建立されました。
天ぷらの材料である魚や野菜などの恵みに感謝し、その道の精進を重ねる決意と、てんぷらを象徴する海老の供養の塚だそうです。
◆鮟鱇塚(あんこう)
鮟鱇塚は1973年に魚河岸の仲買 三浦氏により、鮟鱇の供養と鮟鱇の美味しさを人々に知らしめるために建てられました。
◆活魚塚
人々の食糧となる魚への供養や八百万の神への感謝を多くの人に知ってもらうために、1984年東京築地魚市場活物組合(魚河岸で活魚を扱う仲買団体)により建てられました。
◆昆布塚
昆布塚は1953年の建立だそうです。
◆枝垂れ銀杏
波除稲荷神社の御神木の枝垂れ銀杏。ちょっと珍しいですね。
■軍艦操練所跡■
所在 : 築地6-20
軍艦操練所は、江戸幕府が海軍士官の養成のために築地に設置した教育機関のこと。
ペリー来航以降、西洋式海軍の必要性に気づいた江戸幕府が1857年に創設、向井将監や勝海舟などが頭取を務めていました。
1865年には類焼により旧浜離宮庭園へ移転しました。跡地には日本で最初の洋式ホテル「築地ホテル」が建てられました。
■松平定信旧居浴恩園跡■
所在 : 築地5-2-1
松平定信旧居浴恩園跡は、築地市場駅A1出口を出てすぐのところにあります。
かつてこの地には、寛政の改革で有名な白河藩主松平定信の浴恩園がありました。
将軍からこの地を与えられた定信は、風光明媚な庭園を造り、そこで老後を過ごしたと言われています。
明治維新後、この地は海軍用地となり、海軍発祥の地となりました。
その後、関東大震災で被害を受けた日本橋の魚市場がこの地に移転したのが築地市場の始まりです。
現在は市場となっているため、もちろん庭園の面影は残っていません。
※松平定信の墓地のある霊巌寺については 清澄白河駅 をご覧ください!
◆マグロ塚を作る会 プレート
1954年にアメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験により被爆した、マグロ延縄漁船「第五福竜丸」から水揚げされた魚の一部が築地市場に入荷しました。
検査の結果、放射能汚染が判明した魚は埋められ、破棄されました。全国でも460t近くの汚染した魚が見つかったため魚の消費が大きく落ち込み、また市場で競りが成立しなくなったそうです。
このプレートはこのような核被害が再度起きないことを願って、全国からの10円募金により作られました。
プレートは松平定信旧居浴恩園跡の説明板の横にあります。
※第五福竜丸については 新木場駅 をご覧ください!
■八紘一宇の碑■
所在 : 築地4-14
八紘一宇の石碑は、晴海通り沿いに建てられています。
八紘一宇(はっこういちう)とは、天下・全世界を一つの家のようにすること。
「日本書紀」の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を、全世界を一つの家のようにすると解釈したものだそうです。
第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられたそう。
■国立がん研究センター 中央病院■
所在 : 築地5-1-1
国立がん研究センターは、1962年に開設しました。
日本におけるがん征圧の中核拠点として、がんその他の悪性新生物に対する診療、研究、治験、調査、情報提供を行っています。
受診する際は、他院からの紹介状が必要です。
■市場橋公園■
所在 : 築地4-15-2
築地市場のすぐ近くにある公園。そんなに大きな公園ではありませんが、いくつか遊具があります。
◆東京盲唖学校発祥の地・日本点字制定の地
▲レリーフには点字の説明書きがあります
筑波大学附属視覚特別支援学校(盲学校)と同聴覚特別支援学校(聾学校)の前身である、楽善会訓盲校が、1880年この地に開校しました。1885年には文部省の直轄となり、東京盲唖学校と改称。その後、日本において点字が考えられたそうです。
記念碑は市場橋公園内にあります。
■築地社会教育会館・築地保育園■
所在 : 築地4-15-1
築地社会教育会館と築地保育園は併設しています。
◆築地社会教育会館
利用時間 : 卓球室・トレーニング室以外の施設 午前9:00~12:00
午後13:00~17:00
夜間18:00~21:00(22:00まで延長可)
卓球室・トレーニング室 午前9:00~13:00
午後13:00~17:00
夜間17:00~21:00(22:00まで延長可)
休館日 : 12/29~1/3
築地社会教育会館は、区立社会教育会館の中で最大の部屋数を誇ります。
室内体育場やトレーニング室などのスポーツ施設もあり、多目的な利用が可能です。
施設利用の際、託児室の利用も可能です。
◆築地保育園
保育時間 : 7:30~17:00(延長保育18:30)
休園日 : 日曜・祝日・年末年始
生後7ヶ月からの0歳児保育(特別保育)や心身に障害を持つお子さんの保育(発達促進保育)を行っています。
■海軍兵学寮趾・海軍軍医学校跡■
所在 : 築地5-1
◆海軍兵学寮趾
1869年に海軍兵学校の前身、海軍操練所がこの地に設立されました。翌年、海軍兵学寮と改称、1876年に再度改称されて海軍兵学校が開校しました。
ちなみに、銀座にある「みゆき通り」は明治天皇が皇居からこの通りを通行し、この地にあった海軍兵学校を訪れたことにちなんで名付けられました。
◆海軍軍医学校跡
海軍軍医学校とは、軍医・看護師・薬剤師を養成する教育機関のこと。
1897年に設置された海軍軍医学校は、1908年に現在の港区芝から築地へ移転してきました。
■采女橋(うねめばし)■
采女橋は、江戸時代に松平采女正(うねめのかみ)の屋敷があったことに由来します。
屋敷は1724年の江戸大火により焼失し、この周辺は釆女が原と呼ばれるようになりました。
現在の采女橋は1930年に関東大震災の復興事業として架けられました。1991年には大規模改修工事が行われ、現在の姿となりました。
※采女橋を渡った向こう側については 東銀座駅 をご覧ください!
▲銀座の柳(左)と幻のホテルといわれた築地ホテル館(右)
■東京国税局■
所在 : 築地5-3-1
東京国税局は東京都、神奈川県、千葉県、山梨県を管轄しています。
築地市場駅A2出口を出てすぐです。
■浜離宮朝日ホール■
所在 : 築地5-3-2 朝日新聞東京本社・新館2階
浜離宮朝日ホールは、朝日新聞東京本社にある室内楽専用ホールです。
世界で最も響きが美しいホールの一つと評価される、シューボックス型(靴箱のような立方体)をしています。
■新尾張橋■
新尾張橋は、浜離宮朝日ホールの前にあります。
この地は江戸時代、尾張徳川家の築地下屋敷があり、敷地内の入堀は尾張藩の物流の拠点となっていました。
尾張橋は江戸時代初期から築地川に架けられていましたが、昭和40年はじめに撤去。
この橋は、関東大震災後の復興で汐留と築地を結ぶ鉄道橋として設置されました。現在、鉄道は役目を終え、鉄道橋も道路橋に架け替えられています。
架け替えにあたり尾張橋の名を残すために「新尾張橋」と名付けられました。
※路線撤廃後も残されている踏切の信号機については 東銀座駅 をご覧ください!
■勝鬨橋■
勝鬨橋は1940年に完成した可動橋で、勝どきと築地を結んでいます。
当時は隅田川を航行する船舶が多く一日に複数回跳開していましたが、その後通航量の減少や道路交通量の増加に伴い、1970年を最後に開くことはなくなりました。再び橋の跳開を望む声はあるようですが、道路の交通量や費用面で現在も実現には至っていません。
勝鬨橋は、2007年に「清洲橋」「永代橋」と共に国の重要文化財に指定されました。
※勝鬨橋を渡った向こう側については 勝どき駅 をご覧ください!
※清洲橋については 浜町駅 、永代橋については 茅場町駅 をご覧ください!
▲勝鬨橋からの景色(奥に見える橋は建設中の築地大橋です)
■かちどき 橋の資料館■
所在 : 築地6-20
開館時間 : 9:30~16:30(12/1~2/28は9:00~16:00)
休館日 : 月曜・水曜・日曜・12/29~1/3
かちどき 橋の資料館は、勝鬨橋のたもとにあります。この資料館は勝鬨橋を開くために使用していた変電所を改修して造られました。
勝鬨橋や隅田川に架かる橋についての貴重な資料などを展示・公開しています。
勝鬨橋橋脚内見学ツアーも開催されていましたが、勝鬨橋の補修工事に伴い、一時中断となっています。期間は、2018年1月~2020年3月末までの予定です。
■かちどきのわたしの碑■
所在 : 築地6-20
勝鬨の渡しの碑は、勝鬨橋のたもとにあります。
1905年、日露戦争の旅順要塞滑落を機に、京橋区民が渡船場を設置し「勝鬨の渡し」と名付けました。
勝鬨の渡しは、住人や月島の工場へ通う人たちの重要な交通機関でしたが、関東大震災後、架橋運動が起こり、勝鬨橋の開通とともに廃止されました。
■勝鬨橋之記■
所在 : 築地6-20
勝鬨橋之記は、勝鬨橋のたもとにあります。勝鬨橋架橋のいきさつなどが記されています。
■海軍経理学校の碑■
所在 : 築地6-20
海軍経理学校とは、海軍で会計 庶務 被服などの要員育成のための学校。
1874年、芝山内天神谷で海軍会計学舎が設立されたのが始まりです。その後いくつかの変遷を経て、1907年に海軍経理学校となりました。
1945年海軍解体に伴い、約70年の歴史に幕を閉じました。
この石碑は、戦後30年を機に建てられました。
2018年10月築地市場は移転し、83年の歴史に幕を閉じました。
少しさびしい気持ちがありますが、跡地には何が建設されるのか楽しみですね!
築地市場移転後も、築地場外市場は変わらず営業を続けています。
ぜひ訪れてみてください!
以上、築地市場駅周辺の地域情報でした。
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